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おおらかに

黒岩 英臣

今日の心の糧イメージ

ほんの数日前、私は大好きなマーラーという作曲家の交響曲で、"復活"という名のついた大曲を、朝から夕方までのリハーサルで指揮して、もう擦り切れた雑巾みたいに疲れて、空港のレストランで本を読みながら、ビールを飲んでいました。

その本とは、これもまた私の好きな、などと言うのもおこがましいような、曽野綾子さんの著作で、「魂の自由人」という本です。いつもの事ですが、胸の奥までスパッと断ち切るような小気味よいたたみかけで、ホントほんとと共感できる上に、えっ?!と毎回、目からうろこの深い感覚を味わわせてくれるのです。

ところで、私は今、こうして「おおらか」と題して、このエッセイに取り組んでおりますが、空港で読んだ、あの本には「おおらかという単語は使われていなかったように思います。しかし、面白いことに、解説の部分に「おおらか」という言葉が出てきたのをみてちょっとばかり驚きました。

というのも、本文には一度も出てこなかったように、私達の生活の中で、「おおらか」という言葉はどの程度使われているか、改めて考えさせられてしまいました。

また、聖書の中で使われているか考えてみましたが、例えば主なる神様の口から、「おおらかに生きなさい」とかのお言葉は、無かったように思います。それどころか、主からは「私のために迫害を受ける者は幸いである」(参 マタイ5・11)などと言われる始末なのですから。

そこで、困った私は、直属の上司であり、我が家の女王である妻に、事の窮状を訴えました。そうしたら、たちどころにご託宣が下ったのです。「あなたは十分いい加減なのだから、神様の御前で根明でいるという意味で受けとったらどうかしら?」と。

いや、私はホントはもっときちんとした人間なのですが。