私は小学生の時に赤ん坊の弟が亡くなったのをきっかけに家族中で洗礼を受けたので、キリスト教との出会いは小学生の時と言うべきかもしれませんが、実際のところ、その頃は...
私は小学生の時に赤ん坊の弟が亡くなったのをきっかけに家族中で洗礼を受けたので、キリスト教との出会いは小学生の時と言うべきかもしれませんが、実際のところ、その頃は...
まだ若いときのこと、ある大先輩と話していました。その人はクリスチャンではありませんでしたが、なぜか、その時、賛美歌の話になりました。その人にはとても好きな賛美歌...
先日、絵本と子どもたちとの会に、若い夫婦と小さな女の子がきました。その家族は、何か難しいときを過ごして、それを乗り越えてきたようです。そして、いまは奥さんはおな...
教皇フランシスコが選ばれたとき、というよりもあの方がご自分の名前として、フランシスコを選ばれたとき、本当に驚き、私は喜びで一杯になりました。アシジの聖フランシス...
あがめる、という言葉について、よくよく考えてみました。めったに使わない言葉ですが、最上級の尊敬がこもっていることだけは確かです。でも、どのようにでしょうか。私の...
もうずいぶん前ですが、思いがけない時に、本当になつかしい思いをしたことがあります。初めて外国旅行をして、最後に聖地に行きました。その頃、パレスティナと言えば、エ...
共にいる神、ということを考える時、私はクリスマスについての聖書の記述を思います。なぜなら、ここにとても好きな言葉が出てくるからです。マリアが身ごもったことを知っ...
私が小学校3年の時のクリスマスの夜に、私の家族はみんなで洗礼を受けました。その前の年に、小さな弟が急性肺炎で亡くなって、父と母が、その小さな子のお葬式を教会でし...
ストレスとは、まことに厄介なものだと思うけれど、人はストレスが何もなければ、何もしないとも聞いたことがあります。私の場合、考えてみたら、ストレスと思う時には、た...
人が「岐路に立つ、」というほどの言葉で表現するのは、よほどの困難の時でしょう。でも、人生には、確かにそのような時が度々あるのだと思います。さんざん迷って、悩んだ...