ただ、今になって考えるのは、そういうことを繰り返しながら、自分という人間と付き合っていくことのなんと難しく、しかも大切なことだろうかということです。つまり、自分の弱さなしでは、自分の良さもないのではないかということなのです。こういう弱さを背負っているからこそ、人の悲しみもわかるようになるのではないでしょうか。きっと、他の人から見たら、なんてくだらないと思えるようなことでも、それぞれ当人にとってはかなり真剣に悩むこともあるのだということです。
そして、そんな時に、必ず思い出されるのは、聖パウロの言葉です。「どんなことでも心の悩みを神に打ち明けなさい」ということだったと思います。(参)(フィリピ4・6)そうか、どんなことでもか、と気がついた時の嬉しさは格別でした。
そして、どうやら人は、それぞれなにか困難を抱え、それを繰り返して生きているのだと思ったのです。大人になったら宿題もない、と羨ましく思っていた自分が何だかおかしくなります。