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繰り返し

黒岩 英臣

今日の心の糧イメージ

繰り返しと言えば、私達音楽家にとっては毎日毎日、飽くことを知らず行っている行為であると言えます。

かいつまんで説明致しますと、私がモーツァルトかベートーベンの交響曲を指揮するとします。開始してすぐ特徴的な2つの部分を過ぎると、この繰り返し記号が書いてある訳です。しかし私達は、この記号通りにするか、それに従えば少々くどくなるのでストレートで演奏しよう、などと実際にはいくつかの理由を考えて演奏しています。

今の私達こそCDをはじめ、いつでも望む曲を聴けますからこんな風に思えるのでしょうが、昔の人々だったら、今聞いたばかりの音楽を、繰り返しを付けて聴いて、心に定着させたいと思った事でしょう。

ところで、今この放送を聴いて下さっている皆様は、全世界の教会で毎日行われているミサ、また毎週の主日と言われる日曜に沢山の人々が集まって行われるミサが、どれも同じ事の繰り返しなのだと言ったら、驚かれるでしょうか。

ですが、これは本当です。外側の印象はクリスマスに幼子イエスがお生まれになったことを祝うのと、聖週間に、同じイエスが捕らえられ、拷問にかけられ、十字架につけられて絶命するという儀式では、とても同じだなどと思えません。

それでも、教会が繰り返し指し示していることが同じであるというのは、神でありながら人となり、私達の罪を贖って死んで下さったこのイエスを、父である神は復活させた、それは私達の復活の初穂としてなのであり、だからわたしたちは復活するのだ、ということなのです。

聖パウロという元キリストの熱烈な迫害者が劇的な改心をして、この事を行く先々で述べ伝えている様子が、使徒言行録と書簡に記されています。