桜は大変儚い。1週間と少しで花は散ってしまう。花のなくなった後はただの木だ。特に姿が優美なわけでもなく、誰にも振り向かれない。1年に7日間花を咲かせ、そのためだけに生きているような木なのである。
私たち人間も儚い生き物だ。折れやすく、壊れやすい。地球上のあらゆる場所に広がって、栄えているように見えても、1人1人は脆いものだ。
だが私たちは、梢一杯に咲く花の下に立って、こう思うことが出来る。「1つ1つの花は儚く散っても、桜の木は新しい花を毎年咲かせ、桜であり続ける。私たち人間も、1人1人は弱くても、力を合わせることも、次の世代に希望を送ることも出来る。そうやって私たちは人間であり続けるのだ」。
この時、私たちは永遠というものに触れているのかもしれない。
繰り返し、繰り返し春は巡って来る。一度として同じ春はない。人はそれぞれの自分の日々を生きていく。すべてが新しい日だ。何と 喜ばしく、誇らしいことだろう。
永遠を望む者として生きるということは。人間として生きるということは。