その人は、その賛美歌の歌詞がどんなに素晴らしいかを話してくれました。3番まであるその歌詞はどれもいいけれど、その人が特に好きなのは3番の最後のところだというのです。それは「世の友われらを捨て去るときも、祈りに答えていたわり給わん」というのです。若かった私は、目の前の穏やかな表情のその人が、実はどんなに大変な人生を送ってきたのだろうかと思い、言葉を失いました。そして、その人に言われるまで気がつきませんでしたが、その賛美歌はそこだけでなく、前の方も素晴らしいものでした。1番は「慈しみ深き友なるイエスは、罪咎憂いをとり去りたもう。心の嘆きを包まず述べて、などかはおろさぬ、負える重荷を」そして2番は途中から、「われらの弱きを知りて哀れむ。悩みかなしみに沈めるときも、祈りにこたえてなぐさめたまわん」というのです。
これこそ、心を開く、ということではないでしょうか。考えてみれば、神に向かって心を開くということこそが祈りなのだと思います。聖パウロがどのような悩みでも、包まず神に打ち明けなさい、と言っていたと思います。まず、全てはそこから、祈りはそこからなのだと改めて思っています。私は、初めて、聖書のこの箇所に気がついたとき、「なんでもか」と驚き、感動しました。