教皇フランシスコは、特別聖年公布の大勅書の中で「教会は、一刻を争うほど緊急に神のいつくしみを告げる必要性がある」と書いておられます。私は、「一刻も争うほど」とい...
教皇フランシスコは、特別聖年公布の大勅書の中で「教会は、一刻を争うほど緊急に神のいつくしみを告げる必要性がある」と書いておられます。私は、「一刻も争うほど」とい...
主イエスが復活された朝、聖書に登場する女性たちは、空っぽの墓の前で「あの方はここにおられない」と告げられました。主イエスを死者の中に探してもおられないということ...
ルカ福音15章の「放蕩息子のたとえ話」は、「勇気」を持つとはどういうことかを教えています。たとえ話は、2人の息子を持つ父親の物語です。1人は気ままに放蕩の限りを...
海外で過ごした2年間を思い出しますと、子どもの頃の思い出と同じような「なつかしさ」を感じます。大きな期待と不安を胸に抱き、ドキドキしながら修道会の本部があるアメ...
2011年、年の瀬、私は東日本大震災の被災者支援のために宮城県北部の米川ベースに行きました。津波で甚大な被害を受けた南三陸町への支援を行っている所です。私の主な...
クリスマスと云うと、私は、「み言葉は人となり、私たちのうちに宿られた」という聖書のヨハネ福音の言葉を思い出します。(ヨハネ1・14)気仙語訳では、「み言葉」を「...
ストレスというのは、「歪み」とか「変調」とかいう意味だそうです。何らかの刺激に対して体や心が歪んだ反応を示すような状態が「ストレス」なのです。そういう状態を解消...
これまでの人生において、私が一番大きな岐路に立ったのは、将来について識別し、修道生活の道を選び取った時の体験です。それまで、私は、多くの人たちが良しと考える、極...
私にとってかけがえのない宝物のひとつは、特別支援学校で関わった児童・生徒たちとの出会いです。重い障害にもかかわらず、神様の命を精一杯生きる彼らから、私は多くのこ...
天使のお告げを受けて、救い主イエスの母となることを受諾されたマリアは、すでに身重になっていた親族エリザベトを訪問しました。天使のお告げ通り、エリザベトが懐妊して...