車中から私は、初めて震災の凄惨な光景を目の当たりにして、あまりの大変さに大きなショックを受けました。
私たちは、重い定置網の綱をハサミで切るなど、地道なお手伝いをさせていただきました。その時、大震災で立ち上がれない程の痛みを味わわれた漁師さんの1人が、ボランティアの1人ひとりと握手をしてくださり、「1時は年を越せるとも思っていなかった。いい年にしてくれてありがとうね」と、声を詰まらせながらお礼を言ってくださいました。この出会いは、私にとって忘れ得ぬものとなりました。今も、思い出す度に涙がこぼれます。
災害や不条理な出来事によって苦しむ人々と出会う時、私は、「どうしてこんな惨いことが起きるのか」とわからなくなります。しかし、この漁師さんの他人を思う温かい心と強さ、前向きな生き方を思うと、その中に、「いつも共にいる」と約束される主キリストがやはりおられるのだと感じざるを得ません。主は、苦しむ人々の痛みに共感し、共に担い、共に泣き、「一緒に生きていこう」と支え続けてくださっているのだと心から実感した体験でした。
滞在中、南三陸町の瓦礫の中から小さなキリスト像が見つかりました。そのキリスト像の発見は、どんな状況下にあっても「共にいる」神様のメッセージの象徴のように、私には感じられました。