そして、しばらくは、無責任にも安易な道を勧めた他人に責任転嫁をし、腹を立て、すっきりしない気持ちで大学生活を過ごしました。しかし、ふり返りますと、苦労や挑戦を避けてきたのは、他でもなくこの私だと実感せざるを得ませんでした。
私は、この入学式の悔しさと後悔の涙を通して、「するのは失敗、何もしないのは大失敗」ということを改めて痛感させられ、「自分の人生、自分で生きる」ということを心に誓ったのです。
もちろん、それぞれの人生は、多くの人々との出会いや関わりによって支えられ、豊かにされていくものに違いありませんが、それは、創造主である神様から与えられている人生を自ら引き受け、何かをする時、自分で選び、責任を取るということが核になると、私は感じています。
私たち一人ひとりは、父なる神によって、ユニークな存在として創られ、今も、神様の大きないのちに生かされています。
「自分の人生を生きる」ことは、そのいのちへの私たち側からの応答なのです。