その後、急に私たちに会いたくなり、「教会に行けば2人に会えるような気がして」1人でバスに乗り、ミサにあずかったという。ちょうど復活徹夜祭だったようだ。1年後、母は洗礼を受けた。
本当に驚いた。なんと不思議なことだろう。聖書のことをほとんど何も知らないまま、ただ1人で教会に通い、ミサにあずかったらしい。それが1年間続いたら、自然に洗礼を望むようになったという。神様が直接母を引き寄せ、抱きしめ、導いてくれた。私たちがしたのはお祈りだけだったから。
これと反対に、神様の道について懸命に説明したが、疲れるばかりで現実には何も実りがなかった経験もある。母の洗礼を考えるとどんなことよりも祈りが大きな力をもつ、という教訓を得る。母はこう言ったからだ。「今までも懸命に祈ってきたけれど、いつも空しかったの。でも、イエス様、マリア様を知ってからは心が満たされて、救われたってわかったのよ」。
今は、母に会うと一緒にお祈りし、聖書の話が出来るのがとても嬉しい。