ところが、授業は予定の1時間で終わらず、私は無断で次の時間も続けました。ついに給食のチャイムが鳴り、「魚屋さんは、なぜこんなに工夫をしているのでしょう、考えてきなさい」と言って終えました。つまり、時間を2倍以上かけ、一番大事なことを宿題にしてしまったのです。言語道断、前代見聞のひどい授業でした。
放課後の研究討議では、参観者20数名から容赦のない言葉を浴びました。思慮も配慮も足りなかった私は、ただ小さく縮こまるしかありませんでした。
しかし、その中で次のように言ってくださった教官がいたのです。「時間がかかったのは、中井君が子どもの発表を、最後まで聴いていたからです。教師になっても、子どもの話を一生懸命聴く先生であってください。」
それから歳月が過ぎ、厳しい言葉はすっかり忘れてしまいましたが、あの教官の言葉だけは私から消えることはありませんでした。
言葉ひとつが失意の人を救うこともあり、生き方を導くこともあります。
人の心に残る言葉とは、そんな温かさと強さを持つものだと知ったのです。
ところで、イエスは、2000年を経ても私たちの心に響く言葉を残してくださいました。たとえば「子よ、あなたの罪は赦された」という一言。(マルコ2・5)
神の愛ある言葉は、いつもいつまでも、私たちを救い導きます。