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人生の教訓

遠山 満 神父

今日の心の糧イメージ

私は、これまでの人生において大切なことを、自らの失敗の経験を通して学んできたような気がします。聖ヨハネ・パウロ二世は、広島を訪問された時、「過去を振り返ることは、将来に対する責任を担うことです」と仰いました。私達は、過去の過ちを振り返ることなしに、先に進むことができない時があるのではないでしょうか。

しかし、私達は、しばしば過去を振り返ることを避けようとします。何故なら、過去を振り返ることによって私達は、自らの存在の小ささを眼前に突き付けられ、自己嫌悪に陥り生きる力さえ失うことを恐れるからです。失敗を見つめる事は時に辛く、素直に認める事は至難の業である事がしばしばです。

けれども、私達が過去を振り返ることを怠れば、ナルシズム、つまり自己陶酔に陥る危険があります。私達が、もしナルシズムに陥れば、あたかも自分の人生の中で、過ちを犯したことがないかのように振る舞うようになり、失敗を隠したりするようにもなります。国を司る人がナルシズムに陥れば、歴史を美化したりすることに繋がります。

過去を振り返るため、また自分の失敗を失敗と認める為に必要なのは、自己価値感情です。たとえ失敗しても、「大丈夫だよ。もう一度立ち上がって前進しようね」と言ってくれる存在が必要です。

聖書の中に次のような言葉があります。

「自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理は私達の内にありません。自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義から私たちを清めて下さいます」。(ヨハネの第一の手紙1・8〜9)

私は、自分の失敗を語る事のできる相手、また、それを言い表しても、受け止めてくれる相手を見出すことができたことに感謝しています。