

聖書に「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。」(マタイ6・34)という み言葉があります。この み言葉を味わう度に、ここ数年、無意識のうちに先の見えない未来や起こってもいないことを心配し、要らぬエネルギーをつかっている自分に気づかされます。
イエス様は、なぜこのような言葉をのこされたのでしょう。それは、多くの人々が思い悩む必要のないこと、心配しても仕方のないことに
まず、明日ではなく、今日のことを、今の自分の状況をあらためてふり返ってみることが大切だと感じます。
今朝からのことを一つひとつ丁寧に思い出してみます。朝、目が覚め、身の周りの支度、洗濯や朝食の準備等をし、聖堂で静かな祈りの時を過ごしたこと、祈りの中で発見した小さな気づき。聖堂では、日々共に生活をするメンバーが集まり、朝食時には普段と変わらない関わりがあったこと。何気ない会話。朝食後は、気になっていた仕事に取りかかれたこと。起床時からの数時間の日常を思い起こすだけで、小さな実りに感謝することはたくさんあっても、特別な悩みは見当たりません。
それなのに、どこか心が重いのです。祈りのうちに、その重さを味わってみると、今、この瞬間の自分に集中できず、自分で解決やコントロールのできない事柄に左右される自分が見えてきます。いつも心平穏に過ごしたいと願いながら、自分の思い通りに事が進まないことに、イライラ、モヤモヤしがちな小さな自分に気づかされます。
そんな私に、「明日に任せよ」との主の み言葉が心に響いてきます。その御手(みて)に「明日」を委ねて前を向きたいと思います。