

カトリックの洗礼を受けて間もない頃のことだった。
ある日曜日のミサの時、私はいつもと違う席に座っていた。教会に指定席があるわけではないが、参列者はなんとなく同じ場所を好むので、大体決まったところに座ることが多い。その日は私の「いつもの席」に既に別の方がいたので、近くの空席に腰を下ろした。
やがてミサが終わり、私が帰ろうとすると、隣に座っていたYさんに呼び止められた。彼女は私の手をにぎり、真顔で繰り返し礼を言った。
「
「え? 何? 私は何もしていませんが・・・」
「ええ、せやからええねん」
余計にチンプンカンプンになった私に、Yさんはわけを話した。
いつもなら、Yさんの隣には別の親友が座っていた。二人が教会で一週間ぶりに会うと、どうしても積もる話に花を咲かせて、ミサ中に私語を交わすことも度々あった。その日は例の親友がたまたま休んで、代わりに座ったのが私であった。
「あなたはとても静かやった。おかげで、私も久々にお祈りに集中できて、心がおだやかになってん。せやから、ありがとうな」Yさんの言葉に驚いたのと同時に、カトリック教会が典礼において強調されてきた「聖なる沈黙」を思い出した。
「聖なる沈黙」とは、単に音を出さないことや黙ることではなく、心を神に向けて、その声を聞くために準備することだ。つまり、本当に大切なものを第一番にして、求める心を備えることである。
その日、私は意識して沈黙していたわけではなかったが、Yさんによって大事なことに改めて気付かされた。
これからも、聖なる沈黙でおだやかな心を養い、いのちの言葉に耳を傾けていきたい。