

今世紀が四半世紀を過ぎる今年は、日本にとって戦後80年であり、昭和から100年、一世紀が流れたとの思いを重く感じる1年でした。
ラジオ放送開始から100年でもあり、マスコミは繰り返し昭和の歴史や文化を振り返る特集を組みました。
そんな中、沢山懐かしい人々を有名無名問わず思い出しました。私自身が今も元気で天職と信じられる仕事を続けられるのは、
特に今年は戦争が頭にあり、忘れられないのは母方の祖母です。明治生まれの芸事に
昭和7年、リットン調査団が派遣された当時、満州陸軍病院の院長夫人であった祖母は、リットン卿を始め調査団の接待を引き受けた武勇伝があり、洋装でスラリと美しい祖母が古いアルバムの一頁に証拠を留めています。
私の記憶の中の一番昔の祖母の姿は、昭和23年頃、夕方になると正座してラジオを聴く姿です。「遠き山に日は落ちて」のメロディーが流れ、男性アナウンサーの声で「本日舞鶴港帰還者のお名前を・・」と放送が始まり、全て聞き終わると「今日も居なかった。お祈りして待ちましょう」とつぶやいて立ち上がり、普段の家事に戻るのでした。
シベリア抑留となった長男を待っていたのです。その叔父は翌年の夏無事帰国し、次第に世の中も落ち着き始め、やがて昭和25年、日本は講和条約を締結、私は小学生になりました。
その年の事、「6歳の6月から始めた稽古事は一生身に着く。何がしたい」と問われ、私は「お絵描き」と即答。
祖母は初めの先生が大切と言って、生涯の恩師を見つけてくれたのでした。
*2025年11月に放送されたお話です*