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忘れられない人

竹内 修一 神父

今日の心の糧イメージ

 僕がその神父さんと出会った時、彼はすでに91歳でした。いつも微笑みをたたえた静かな佇まい。イエズス会の宣教師として日本に来られたのは、第二次世界大戦前の1928年。それから約60年の歳月が経っていました。(このような静かな美しさは、いったいどこから来るのだろう)――それが、僕の印象でした。

 「心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る。」(マタイ5・8)
 マタイ福音書のこの言葉が、ごく自然に思い出されました。きっとこのような美しさは、単純で(てら)いのない純粋な心から生まれて来るのでしょう。真の謙遜とは、きっとこのような心から生まれてくるのではないか、とそう思います。

 世の中は、決してきれいなこと、あるいは正しいことだけではありません。むしろ、そのようなことは少ないのかもしれません。しかしだからこそ、あるいは、それにもかかわらず、この神父さんのように生きること。それはやはり、貴く美しいことであり、周りの人々に静かな喜びと平和を与えます。

 神父さんは、来日後約40年間、山陰の小教区で働かれました。その後20年間程を修練院で過ごし、晩年の数年にわたる療養生活を経て、百歳で帰天されました。ほんとに温かく謙遜で、美しい人でした。神父さんの影響で司祭・修道者となった方も少なくありません。僕にとって忘れられない人物の一人です。

 「どこを/断ちきっても/美しくあればいいなあ」そう語ったのは、八木重吉。

 イザヤ書には次のようにあります。

 「いかに美しいことか/山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え/救いを告げ/あなたの神は王となられた、と/シオンに向かって呼ばわる。」(52・7)