

長崎の友人の中に、
出会ったのは長崎市内のカトリック教会だった。牟田さんは初対面の私をやさしくミサに案内し、手帳から一枚のカードを取り出して私の手のひらに置くと、ご自分の温かい手で包み込みながら言った。
「主の平安」
その時頂いたカードには、聖フランシスコの平和の祈りがプリントされていた。見ず知らずの私を、彼女はキリスト者として最上の祝福でもてなしてくれたのだ。
牟田さんは一人暮らしをしていた。おおらかな性格のためか、家を空けても玄関の鍵を掛けたことがなかった。私が「空き巣に入られたら危ないですよ」と進言しても、「よかよか、空き巣にならんけん」とまったく問題にしない。「だって、お一人暮らしでしょう」と心配すると、彼女らしい陽気な答えが返ってくる。
「うんにゃ、家に必ず誰かがおるばい。ほら、イエス様おるやろう? マリア様おるやろう? 聖フランシスコも、二十六聖人も、ペトロ岐部と一八七殉教者もおるやなかか? 外には犬と猫、木には小鳥、台所だってゴキブリが2、3匹おるやろう? 賑やかばい!」
牟田さんと出会って1年余り経ったある日、共通の友人から彼女の訃報を聞いた。
自宅で息を引き取ったのを数日後に発見されたらしい。世に言う「孤独死」であった。
「牟田さんに限って、そんな寂しい亡くなり方・・・」と私は深い悲しみに陥って、涙が止まらなかった。
すると、どこからともなく彼女の懐かしい声が響いた。まるでやり場のない私の気持ちを慰めるかのようだった。
「主の平安!イエス様おるやろう?マリア様おるやろう?聖フランシスコも、二十六聖人も、殉教者たちも皆おるけん、寂しゅうなかよ!」