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待ち望む

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

 キリスト教とはまったく無縁の埼玉の農家で生まれたわたしだが、子どもの頃からクリスマスを祝う習慣はあった。父がどこかから手に入れてきた鉢植えのモミの木に、きれいな飾りつけをし、おいしいケーキを買ってきてみんなで一緒に食べる。朝、目が覚めると、サンタクロースからのプレゼントが枕元に置かれている。そんな楽しいクリスマスを、わたしは毎年心待ちにしていた。

 みんなに気前よくプレゼントをくれる、とてもやさしいおじいさん、サンタクロース。そのサンタクロースに実在のモデルがいると知ったのは、大人になり、洗礼を受けてキリスト教徒になってからのことだ。

 モデルになったのは、4世紀にトルコで活躍した、ニコラウスというキリスト教の聖職者だという。

 ニコラウスがあるとき、町を歩いていると、一軒の家から若い娘の泣き声が聞こえてきた。貧しくて、結婚の持参金が準備できず、それで泣いているのだという。気の毒に思ったニコラウスは、夜になってからその家に行き、煙突から金貨を投げ込んだ。その金貨が、暖炉の前に干してあった靴下に入ったという話もある。翌朝、娘は靴下に入った金貨のプレゼントを見て大喜びした。それが、世界で最初のクリスマス・プレゼントだったらしい。

 泣いている娘を心配するニコラウスのやさしい心から、クリスマスのプレゼントが始まったという話はとてもいい。キリスト教でいうところの「愛」、ニコラウスの心にやどったやさしい心から、すべては始まったのだ。立場が変わっていまは自分がプレゼントを贈る番になったが、クリスマスの日には、二コラウスにならって、プレゼントにしっかりと愛を込めるのを忘れないようにしたい。