

今から50年も昔の話になります。私がまだ幼稚園に通っている頃、小学校入学を目前にして、「一日入学」という行事がありました。通いなれた幼稚園への道とは違い、別の方向にある小学校に一日通ってみるという内容でした。その時、一人の小学校の先生に目が留まりました。とても優しそうな先生で、一目で大好きになりました。その日から、この先生が私の担任の先生になってほしい、と必死で神さまに祈り、その日を待ち望んでおりました。
さて、小学校の入学式を終えて、教室に入った時、やってきたのは、その大好きな先生でした。飛び上がるほど嬉しかったことを覚えています。この体験は、日々の祈りがかなえられた人生初の出来事だったかもしれません。それからは、毎日、毎日、うきうきしながら小学校に通ったのを覚えています。心から待ち望んだ結果が、与えられたのですから。
ところで聖書によると、イスラエルの民は、長い長い間、救い主の到来を待ち望んでいました。救い主がやってくるという聖書の言葉だけを信じて、人々は忍耐強く待ち続けていたのです。そして、ついに、この聖書の言葉は実現していきます。それがクリスマスの出来事です。
現代の私たちにとって、クリスマスは単にパーティーを開いたり、プレゼントを交換したりするといった機会になってしまっているかもしれません。しかし、このお祝いは、長い間、救い主の到来を忍耐強く待ち望んだ結果もたらされた、救いの喜びのひとときでもあるのです。聖書によると、シメオンという人は「わたしはこの目であなたの救いを見た」(ルカ2・30)とまで言っています。この日が待ち望んだ結果与えられた救いの日であることも心に留めておきたいと思います。