

人生はときに待つことの大切さを教えてくれます。いつ前に出るのか引きさがるのか、いつ闘うのか休むのか、いつ大きな決断をするのか。
いずれ大きな勇気と決心を要する識別のときには、待つことの重要性が問われます。
ダミアン神父は欧州からハワイに送られ、養成期間中、モロカイ島に派遣されて、隔離された人々に仕えることができるよう祈ります。
9年の後、願いが叶って島へ渡り、16年間働きます。晩年に自らもハンセン病に罹り、彼らの友として天に召されます。長年待ちつづけた祈りと望みがあったからこそ、その後一途に自らを奉仕に捧げることができました。
コルベ神父は第二次世界大戦でナチスに協力的でないという理由でアウシュヴィッツ強制収容所に収容されました。そして、二児の父親の身代わりに餓死室に入れられて亡くなります。その決心は瞬時のものですが、実はいつもイエスの生き方と死に方を自らの身に帯びたいと願って長らく待ち望んでいたのでしょう。
マザー・テレサは19歳で欧州から印度に派遣され、長年学校で教えます。あるとき神の声を聴き、学園の高い囲いから出て貧しい人々に仕えるために働きはじめます。それまでに十数年の歳月が必要でした。神が自分に何を望んでいるのか、それを客観的に知り、その声に自らを委ねてまっすぐに進んで行くためには、そうした準備の、待ち望む期間が必要でした。
そしてイエスも、神の国と悔い改めを人々に宣べ伝える、その公の生活を始める30歳の頃まで、やはり準備期間が必要でした。
待つこと、希望を