

子供の頃、私のお祈りは「お願い」であった。御利益を願っていたのである。「サンタさんが来ますように」や、「遠足の日が晴れますように」などである。
ところが高校生の時、学校の朝礼で神父さまが「君達のほとんどは将来きっと結婚するでしょう。おそらく、そのパートナーになる方はもう既にこの世に
当時、男子校の高校生であった私は、正直女の子のことで頭がいっぱいでした。そんな、思春期真っ只中の私たちに、祈りについて難しいお話をするのではなく、いつの日か出会うはずのパートナーの幸せを祈るというお話はスッと私の胸に入って来ました。
以来、私は学校帰りの日課になっていた教会でのお祈りの中で、「この世のどこかにいるはずの将来の私のパートナーは、今日素敵な一日を過ごせましたでしょうか。どうぞ彼女の明日が、幸せな一日でありますように」とお祈りするようになりました。当時、女性とお付き合いしたことが無かった私にとって、「恋人が出来ますように」ではなく、まだ見ぬ人の幸せを祈ることで、他者のために祈る時間を持つことは、不思議と自分の心に平安をもたらすようになりました。
こうして、皆が他者のために祈りあう時間をわずかでも良いので持つことが出来れば、世界は優しく、平和になるのだろうなと思います。
15年前、教会で結婚式を挙げた時、隣にいる妻を見て、「あー、この女性が高校生からずっと祈っていた女性なのだ」と感慨深かったのを覚えています。