

「祈り求めたものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、その通りになる」という言葉が聖書にあります。(参 マルコ11・24)
遠方に住む母が高齢になるにつれ、母の最期に間に合うようにと私は何年も祈りました。やがてその日が来ました。3年前のことです。
癌が発覚し、既に手の施しようのない状態でした。痛みがないのは幸せでしたが気づくのが遅れたのです。それから5ヶ月間、私は毎月母に会いに行きました。
そんなある日、ふと今日は母の所に行く方がいい、と強く感じ、突然飛行機に乗りました。医者も「ちょうどよかった。来週からいよいよ苦しくなります。モルヒネを使っていいですか」と言います。意識ははっきりしており、息も荒くはありません。母はただ静かに苦しみを受け止めていました。
私は聖水を病室にまき、ルルドの水を額と手足につけてあげました。一緒にロザリオを1連祈ると途切れ途切れだった声が途中からしっかりとしてきたので不思議に思っていると、「祈り始めると胸の苦しさがとれたの」と言ってにっこり笑いました。
私が帰る時間になると実に辛そうな顔をするので「また、すぐ来るね!」と言って身を切られるような思いで別れました。
翌日は出発時間まで教会で「イエス様、もし母が天国に行く準備が出来ていましたら、死期を早めてください」と祈りました。もう十分に苦しみに耐えたと思ったからです。
電車に乗って数十分すると母が危篤だという連絡が入りました。あわてて引き返すと途中で「もう息を引き取った」という連絡です。驚きながら病院で母に会い、顔の布をそっと持ち上げると喜びでいっぱいの笑顔でした。
イエス様はその日の朝に祈ったことまで聞き届けてくださったのです。