

1972年頃、南米を旅行したことがあります。私の親しい従兄が、ブラジルで某商社に勤務していましたが、独立して薔薇園を経営し始めましたので、そこを訪問したのです。
南米の中でも当時のアルゼンチンやチリは政治的にもいろいろあり、観光旅行としては少々危険でした。しかし若かった私は、従兄の忠告を無視して、動乱のチリにまで足を延ばしたのです。その為、やはり危うい目に逢いました。
そんな身勝手な私でしたが、ブラジルから私の行動の連絡を受けた妻や知人が、神様に私の安全を祈ってくれていたことを、無事に日本に帰国してから知り、反省の涙を流した記憶があります。私はスリル満点の旅で幸せでしたが、妻を始め友人達は、はらはらしながら祈りあっていたようです。
今思い返しても、私は何と我儘な人間だったことよと深く反省しています。私自身、この危険な旅そのものについての悔いはありませんが、つくづく〝自己愛〟というものについて反省と悩みが始まりました。
そんな私を救ってくれている祈りの本があります。その祈りの本は約800ページ。旧約聖書の時代から存在する祈りもあれば、新約聖書に出てくる「主の祈り」もあります。生きている人間の魂の叫びのような本です。
私は若い頃、比較文化論と比較宗教学を学びましたが、この本はまさに人類の神への叫びのような名作です。
本の題名は「カトリック祈祷書 祈りの友(改定新版)」です。まさに人類が人種を超えて祈りあっている名作です。この祈りの本と出会えた私は、幸せ者。
祈り合うと、爽やかで温かいものが泉のように湧き出し、それぞれの生き甲斐を感じ出すことが不思議です。