

今、私たちが行っている様々な事柄から少し離れて、自分の心を見つめてみましょう。私たちが自分の心を眺めてみると、秘めている事柄や、思っていること、願っていることなどが、思い浮かんでくるのではないでしょうか。
そしてそのことを、心に秘めているだけでなく、意識して願っているかもしれませんし、またその願いが叶うようにと祈っているかもしれません。そこからさらに進んで、親しい人に心を打ち明けて、その方と一緒に祈っているかたもおられるでしょう。
そこには、私の祈りが、私たちの祈りに。さらに進んでお互いに祈る、祈りあうという素晴らしい人の姿がある様に思います。「ひとり」が「ふたり」へ。そして「数人」から「多くの人」に。お互いに祈りあうという姿を想うとき、私は決して独りではないこと、支えられながら人生の旅路を歩んでいることがわかります。
祈りあうことは、たとえ一緒にいることができなくても、できることですね。相手を想いながら、その方の願いや意向を思いながら、祈る、祈りあう時は、かけがえのないものになるでしょうか。小さな存在に過ぎない自分という存在も、場所を超え、時間を超えて、微力ながら人を支えつつ、人々から支えられながら歩むことができるでしょう。
聖人方や、すでに神の み許に召された人々も、天から私たちのことを見守りながら、私たちのため神に執り成しながら、祈りながら、「今」を過ごしているのではと思います。私の心、私たちの心を、世界の人々に向けることは勿論ですが、いつか私たちも招かれて行くことになる天にも、天におられる存在にも心を向けて、祈りながら、祈りあいながら歩んでゆくことができますように。