

8歳くらいまで私は姉と同じベッドで寝ていました。その時の出来事のいくつかを今でも覚えています。姉がベッドづくりで指図してきたこと、お腹を痛めた時に姉が優しくしてくれたことなどです。でも、強く記憶にあるのは、そのピンクのベッドのわきに家族で
いつこの家族の祈りの時間が終わりを迎えたのかよく覚えていません。私たちが別々の部屋に移る前にはなくなっていました。みな忙しくなり、スケジュールもそれぞれになっていったのでしょう。
しばらくして、こんな格言を耳にすることがありました。「共に祈る家族は、かたく結ばれる」。教会で耳にしたり、車のバンパースティッカーで見かけたりしました。「pray together, stay together」英語でも韻を踏んでいて目を引くモットーでした。たしかにその通りです。それでも、私にとって共に祈るということは、あたたかな思い出として残る就寝前のルーティーンよりも、もっと自然に出てくるもののように思えます。
祈りは、私たちが喜びや感謝を覚え、また喪失や支えを必要とする瞬間、自分が小さく感じるときに、期せずしておこるのです。感謝の言葉や、助けてという叫びを思い切って口にしてみようとするときなどです。それが誰にむけて願っているのかわからなくても。愛する人たちと共にありのままの自分を表現できるときこそ、長く続くような絆を育んでいます。
私たちが固く結ばれるのは、就寝前の決まりごとで 跪くからではなく、人生で自分の小ささにおののくときにも、共に並び立とうとする勇気をもらうからです。