

2024年10月9日、冤罪により58年間の闘いを経て無罪になった袴田巖さんに関して、教皇フランシスコは教皇庁総務局長パラ大司教に指示なさったことがあります。袴田巖氏宛に手紙を書き、ロザリオを贈るように。それは教皇庁大使館を通じて
袴田巖さんは冤罪により、死刑囚として三畳一間の部屋で、死刑の恐怖に怯えながら48年間を過ごし、再審決定により釈放されます。
教皇になるずっと前、ベルゴリオ神父時代にも、解放の神学が吹き荒れるブエノスアイレスから800キロ離れたコルドバのイエズス会レジデンスでの2年間、キリストの御受難の追体験をします。
54歳から56歳の時です。小さな部屋のドアを開けると、黄色い壁にはベラスケスの絵画「キリストの
再びブエノスアイレスに戻ったベルゴリオ神父の信仰は、ペトロの後継者としてふさわしい器となっていました。やがて補佐司教、大司教となり、枢機卿となり、ついに2013年3月13日、教皇フランシスコとなるのです。
さて、教皇から託された手紙とロザリオは、2025年2月22日「使徒ペトロの使徒座の祝日」に、菊地枢機卿によって、袴田巖さん、姉秀子さんのアパート3階、希望に続くバラ色の扉を開けて届けられたのです。
教皇フランシスコは、その二ヶ月後、復活祭に民衆を祝福した次の日の早朝、神の御許へと出発しました。