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平和と喜びの使徒

竹内 修一 神父

今日の心の糧イメージ

 つましく生きることの大切さ――それを、教皇フランシスコは、自らの生き方によって示されました。

 2019年の彼の来日は、私たちにとってかけがえのない恵みでした。もしコロナ禍がもう少し前に起こっていたら、それは実現しなかったかもしれません。

 フランシスコ――この名前は、アッシジの聖フランシスコに由来します。彼は、自然を愛し平和を求め、貧しさ、謙遜、そして福音的な単純さによって、キリストに倣いました。「憐れみながら、そして、選びながら」(MISERANDO ATQUE ELIGENDO)――これは、教皇フランシスコのモットーです。

 この言葉は、徴税人マタイの「召命」、(参 マタイ9・9~13)、つまり神によって選ばれ、呼ばれたことに関する聖ベーダ・ヴェネラビリスの解釈に基づくようです。

 徴税人は当時、罪人と見なされていました。そのようなマタイを、イエスは、慈しみの心で見つめ、彼を使徒として選びます。

 神の憐れみ――それは、神の愛の体現。決して抽象的な概念ではなく平和の源泉であり、そこから真の喜びは生まれ、常にあらゆる罪を凌駕します。それゆえ教皇フランシスコは、2013年9月15日の「お告げの祈り」で、こう語ります。

 「神の喜び、それは赦すこと。神の喜びは赦すことなのです!失われた小羊を見つけた羊飼いの喜びです。なくした銀貨を見つけた女性の喜び、失われた息子、死んでしまったかのような息子が生き返り、家に戻ってきたのを迎える父の喜びです。ここに福音のすべてがあります!」

 平和と喜びの福音――教皇としてのフランシスコの奉仕は、これに貫かれていました。それゆえ彼は、核兵器の廃絶を唱え、死刑廃止を訴えます。彼が願い求めたもの――それは、人間と自然との和解、人間と人間との和解、そして人間と神との和解です。

(『ラウダート・シ』参照)