

少女の頃、五島の福江教会のけいこ部屋(教会学校)で、教え方さま(先生)にカトリックの大切な教えを示した「公教要理」を習った。
その中で一番印象に残っているのが、「イエス・キリストはなぜうまやの中でお生まれになりましたか。イエス・キリストがうまやの中でお生まれになったのは、人々の謙遜、清貧、忍耐などの徳を教えるためでありました」というくだりである。この三つの德を口すっぱく教えられ、成長した。
フランシスコパパさまはこの三つの徳をこの世で体現された方であった。まず、教皇になられた時、ふるさとのアルゼンチンの人々が祝福するため、バチカンへ来る計画を立てているのを知り、「来なくてもいい。それより、その費用で貧しい人たちに寄付してください」とおっしゃった。貧しい人たちに心を寄せる姿は生涯変わることがなかった。
また、戦争で苦しむガザの子どもたちに、自分の乗っておられた車を医療用に改造して使ってほしいと要請されていた。
フランシスコパパさまはご自分のためには決して贅沢などせず、清貧そのものの生活を続けられた。履かれている靴もスニーカー、寝起きなさる場所も神学生たちの生活する宿舎とされた。
ご自分のお葬式も簡素にと希望し、お棺に至るまで質素を貫かれた。亡くなられる前日まで公務を果たされた忍耐強さにも強く心を打たれた。
フランシスコパパさまは聖ヨゼフさまに対する特別な尊敬を抱いておられた。コンクラーベのためにローマに行かれた時、わずかな荷物の中に、寝ておられる聖ヨゼフの小さな御像を入れておられたという。
私が教皇フランシスコをヨゼフさまの再来と思うゆえんである。