

2013年、ローマ教皇のベネディクト16世が教皇職を辞任されて、その後開かれたコンクラーベでベルゴリオ枢機卿が後任者として選出された。
このイエズス会出身の新教皇は、フランシスコ会の創設者に敬意を示し、フランシスコという教皇名を自ら選んだ。この前代未聞の決意に、世界は大変衝撃を受けた。というのも、二つの修道会は長い歴史の中で、理念の違いによる対立があったからだ。それにもかかわらず、教皇フランシスコは一人のイエズス会士として、聖フランシスコの心を生きようとした。
アシジの聖フランシスコ、私はこの「平和の聖人」が大好きだ。彼の足跡を辿って何度かイタリア巡礼に行ったことがあって、その伝記は今でも愛読書の一つとなっている。不思議なことに、この聖人のエピソードを読めば読むほど、聖フランシスコと教皇フランシスコの生涯が重なってくる。
全ての財産を放棄し、貧しい人々と生活を共にした聖フランシスコと豪華な教皇公邸も専用車も拒み、簡素なゲストハウスからバスや徒歩で通勤した教皇フランシスコ。
ハンセン病に苦しむ人を抱きしめて、その手に優しく接吻した聖フランシスコと、刑務所や難民センターを訪ね、社会的に排除された人々の足を洗い、口づけした教皇フランシスコ。
十字軍が盛んに遠征していた時代に、武器を持たずに敵陣に赴き、平和の対話を交わした聖フランシスコと、「片手に武器を持ったまま、平和を唱えられない」と強く訴え、繰り返し平和の尊さを呼びかけた教皇フランシスコ。
800年もの年月を隔てても、愛と平和に生きた二人のフランシスコの心はとても似ている。
それが、キリストに似た者の真の姿なのかもしれない。