▲をクリックすると音声で聞こえます。

フランシスコの心、イエスの心

古橋 昌尚

今日の心の糧イメージ

 これほど多くの人々から歓迎された教皇もいなかったかもしれません。

 12年前に新教皇が誕生し、人々はこの方がイエスの心を生きていることを感じとったようです。

 人々と共にいたいという願いは、死の前日まで復活祭を祝おうと公の場に立ちつづけた姿に貫かれています。正直そこまでしなくてもよかったのに、と感じたほどです。

 教皇に選出されなければ、おそらくそのまま信徒を指導する司牧活動を喜んで続けていたことでしょう。

 アッシジのフランシスコに倣って、自然の小さな囁きにも耳を傾ける姿勢が伺われます。貧しい人々に憐れみを注ぐ一方で、富を独占しようとする国々に対しては厳しい態度をとりました。

 新年には世界平和のために祈り、聖年にあたってキリスト教の伝統をもつ国々が模範を示し、最貧国を救うために債務の免除や軽減を呼びかけました。現代の経済的システムから見ると絵空事にも感じられます。実はこれもヨベルの年の伝統、神の憐れみを自らのものとする機会を実践するという習わしに倣っています。神の赦し、人間の負い目を改めて見直す機会として捉えるよう促し、私たちも持ちすぎていないかをふり返る機会とします。

 教皇は就任すると、数ヶ月後にピエール・ファーブルを教会の求める司牧者の模範として列聖します。ザビエルやイグナチオのような巨人たちの陰で、人知れず人々の救いのために欧州の村や町を渡り歩いた聖徒に眼を注ぐことを忘れません。そこにフランシスコの心が立ちあらわれてきます。

 幸い私たちにはこの立派な模範があります。次の教皇もこれに倣ってイエスの説いた福音を、その生き方をもって伝えてくれる神の人として教会を導いてくれることを祈ります。