

「乳飲み子の口によって」(詩編8・2)という聖書の表現があります。
普段の会話では子どもが何か賢いことを言って周りを驚かせたときに使う言葉です。
何年も前のこと、隣の家のジョイが話してくれました。幼い孫娘がジョイの顔にあるラインを一つ一つ数え始めると、おもむろに訊いてきます。
「おばあちゃん、どうしてこんなにたくさん、リボンがあるの?」
ジョイは自分でも吹き出しながら、話してくれたのです。私はすぐにこの「乳飲み子の口によって」という句を思い出しました。世間ではこうした線を「シワ」だと教えています。ふつう、私たちにアイロンをかけなさいと仕向ける言葉です。でもあどけないティーナにとって、おばあちゃんはリボンを施すほどに「美しいギフト」そのものだったのです。
もちろん現実に老いがいつも社会から否定的に捉えられているということでもありません。私たちもまた歳を重ねながら、美しく包装されたプレゼントのように感じているわけでもありません。
肉体的な変化は、なだらかであれ突然であれ、日々いらだたせたり痛みを起こしたりします。どれだけ助けが必要か分からなかったり、または私たちの助けがかえって愛する人々の重荷になったりしないかなどで悩まされます。
どんな人生の段階にあってもそれなりの不安がつきものです。やがて最後の頁を閉じることになるという強い意識とともに、ある日最終章がやってきます。
老いについては、バラ色の眼鏡で見ようとする人もいます。または、眼鏡をテーブルのケースにしまっておこうとする人もいます。私はむしろ鮮やかに見ることを選びます。賢者の愛する眼差しのなかに、たまにでもいいので、リボンをチラリと見てとれることを願って。