

聖人たちの伝記を読むと、若い頃の影響が大きかったことに気づきます。アウグスチヌス、アッシジのフランシスコ、アヴィラのテレジア、十字架のヨハネ、リジューのテレーズなどです。
生きるとは何か。人間とは、自然とは、神とは何か。自分は何に召されているのか。そんな問いが次々と目の前に開けてきます。そんなときに何らかの応えや、その道にヒントを与え、光を照らしてくれる人や出来事に遭遇すると、人生が大きく動くのでしょう。
たとえばイグナチオ・デ・ロヨラの生涯を読むと、若い頃の騎士道への愛、マンレサでの神との出会い、霊的生活への方向転換、勉学、ザビエルやファーブルとの親交、修道会の創設、東洋への宣教派遣と、その波乱にみちた前半生に比べて、後半はなんとも地味な話で終わります。イグナチオは残りの人生を修道会の運営管理、会の憲章作成に尽くしたのであったとさ、という具合です。
私たちの人生も同じかも知れません。後半はあっという間に過ぎてしまったと感じます。私などは、一体どこで何をしていたんだ、とはっきりと思い出せないくらいです。
現実は、日々何がおこっていたのかふりかえる余裕もなく、生きることで精一杯だったようです。自分の人生、一体なんだったんだろう。あれもこれもできただろうに。やらなかったこと、訪ねたかった場所のリストばかりじゃないか。ふりかえれば、一つ、一つのことに集中し、仕事と家族に人生を費やした、ということだったのかも知れません。
歳を重ねて、なにかと神の恵みも感じやすく、とるにたりぬ人生にも神が働き、特にこころが柔らかく影響を受けやすかった若き日に恵みをくださった神のはからいの跡を、今、感謝のうちに辿っています。