

ヨゼフさまのことは聖書の中では、義の人であるという簡潔な人物評価しか残ってはいない。
しかし、二千年経て、今なお、ヨゼフさまへの親愛の情と尊敬の念が強いのは、文字という形では残っていないものの、ヨゼフさまの生前の暮らしを知る当時の人々が口伝えで残したからだろうと私は思う。
ヨゼフさまはマリア様の夫として、イエスさまの養父として神さまから選ばれた。神さまはヨゼフさまを正しさとやさしさをそなえた人間として選ばれたと思う。
イエスさまがマリアさまの胎内におられたときのエジプトへの脱出は正しい選択であった。
そのままとどまっていたら、ヘロデ王によってイエスさまはなきものにされたかもしれない。
まず、その正しい選択が聖家族を誕生させ、二千年経た今日も聖家族への信仰はゆるがない。
ヨゼフさまはマリアさまの懐胎を知った時、とても苦しまれたが、天使の出現で、聖霊の力によって宿ったことを知り、それをすぐに信じた。
その後、やさしさの極みでマリアさまとイエさまに接した。
私の想像では、ヨゼフさまが晩年、病に倒れた時、マリアさまとイエスさまに介護されて、天国へ旅立たれた、と思っている。それまで、マリアさまとイエスさまをやさしく愛されたヨセフさまだったからこそ、心からの介護を受けられたのではないだろうか。
人間として生まれたヨゼフさまは、神さまの御子さまであるイエス様を抱っこすることができ、晩年には介護までしていただいた、と想像している。
人間としては最高の光栄にあずかった。
義の人とは正義の人、やさしい人だと私は解釈している。