

私はエッセイストとして読者と幸せで豊かな気持ちを共有できるエッセイを書こうとしていますが、同時に30年以上、世界的な通信社で経済や国際関連のニュースを英語から日本語に翻訳しています。
目をそむけたくなるような戦場の話や食糧難に関する記事を仕上げてからすぐに昼ご飯をいただくこともあります。そんなとき、被災者や避難者の方々に申し訳なく、食欲が出ないこともしばしばです。でもだからこそ、「私はこれをしっかりいただいて、みなさんのことを力いっぱい伝えます」と心の中でエールを送るのです。
特殊な状況では、殺さない、盗まない、平和が望ましいといったいわゆる「正しいこと」が通用しなくなる場合があります。異文化の間では正しさも優しさも違うため、衝突が起きることもあります。
しかしニュースに触れていて、私は一つだけ、人類がどんな事態に置かれても心のどこかに持ち続けている思いがあると感じています。
それは「生存したい」という思いです。自分も、大切な人も、仲間も、そして人類全員が、できるなら生きていたい、生きてほしい。戦いの中でも、その思いは消えないのではないでしょうか。
帰天されたローマ教皇フランシスコは、命にかかわる現場や闘病を経験したうえで、ぶれることなく命の尊さと、その基盤となる平和の実現を呼び掛けられていました。防弾車を使わず人々の中に入ったり、厳しい入院の直後に公の場に登場したりと、黙々と命をかけた働きをされていました。カトリック教徒かどうかを問わず、その姿に心を打たれ、自らのあり方を見つめ直す人は少なくないかもしれません。
命を賭け、黙って示すとき、正しさも優しさも底力を見せるのだと私は思っています。