

優しい人――それはいったい、どのような人でしょうか。まず思い浮かぶのは、醸し出される雰囲気が穏やかなことでしょうか。それはおのずと、物腰や話し方などに現れてきます。それゆえ一緒にいると、こちらの方も穏やかになります。そのような人こそ、平和を実現する人、と言っていいかもしれません。あたかも自分自身の中に、一つの静かな中心を持っているかのようです。
「平和とは秩序の静けさです」――そう語ったのは、アウグスティヌス。秩序があるところには、必ず調和、安らぎ、そして穏やかさがあります。それは自分の心の中に、家族の中に、さらにはこの地球上に実現します。たとえその半径がどんなに大きくなっても、すべてのものは、その変わらぬ一つの中心に向かって存在します。
アウグスティヌスはまた、こう語りました――*「あなたは私たちを、ご自身に向けてお造りになりました。ですから私たちの心は、あなたのうちに憩うまで、安らぎを得ることができないのです」。
あなた――すなわち神――は、私たちの中心であり、平和の原点です。この事実が、イエスにおいて端的に現れました。
イエスの名は「平和の君」(参:イザヤ9・5)。その彼が、復活の後、こう語ります――「あなたがたに平和があるように」(ヨハネ20・19、21、26)。この平和は、「神が共にいる」ということでしょうか。
真に優しい人のその優しさは、たとえ表面には現れなくても、さまざまな苦難を経験してきたからこそ生まれるのではないか、とそう思います。だからこそ、その人は、人の苦難を自分のことのように理解し、受け入れ、寄り添えます。
聖書にも次のようにあります。
「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイ5・9)
*アウグスティヌス(『告白』)