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正しさと優しさ

松浦 信行 神父

今日の心の糧イメージ

 先日、教会のハラスメント委員会で研修があり、修復的正義という考え方について聞きました。

 私たちには、ともすれば「目には目を、歯には歯を」的な応報的正義という考え方が浸み込んでいます。被害を受けたとき、損したものを返して貰わなければという心です。そして、そのときは形式的であったとしても、償って貰えたらそれで解決という手法です。

 ふと、マリッジエンカウンターの研修に参加している方から聞いた話を思い出しました。

 食事を作っていた時、不注意から大切にしていた食器を割ってしまったというのです。落ち込んで夫に話すと「また買えば良いじゃあないか」の一言。そう慰められても、全然心が晴れない。

 彼女はしばらく考えこんで、割れてしまった食器への喪失感、自分自身の不注意への怒り、そんな心を理解してもらえないつらさ、...いろんな感情が入り乱れている自分の心を発見した、というのです。

 応報的正義は、物事を中心に判断されていきます。それははっきりとした結論を出すために、裁判などの方法として確立しています。しかし人間の心は物質的な償いだけでは癒やされないという視点が、この修復的正義の中にはあります。

 善か悪かではなく、その人が活き活きとできるか、萎縮してしまわないかの基準で、人間の生き方は見えてくるものなのでしょう。正しさの中に、人間存在への限りない優しさがなければ、それは正しさとは言えない気がします。

 イエス・キリストが、人々から愛され、慕われていた理由がこのような物事の見方に由来するのだと、改めて感じた研修でした。