▲をクリックすると音声で聞こえます。

正しさと優しさ

シスター 山本 久美子

今日の心の糧イメージ

 正しさは、時に人を傷つけることがあります。自分の経験をふり返っても、特に自分の誤り等を指摘された時、確かに言われていることは正しい、間違っていないことだとわかったとしても、素直に認めるなど至難の業です。認めるどころか、私の事情もわかってほしい、もっと優しく言ってほしいと逆切れし、相手を責め立て、今度は自分の正しさで反論したくなるものです。

 私は、詩人・吉野よしの 弘 (ひろし)の「 祝婚歌 (しゅくこんか)」が大好きです。

 「互いに非難することがあっても / 非難できる資格が自分にあったかどうか / あとで / 疑わしくなるほうがいい / 正しいことを言うときは / 少しひかえめにするほうがいい / 正しいことを言うときは相手を傷つけやすいものだと / 気づいている方がいい」

 歳を重ねるごとに、人をむやみに非難したり、人に必要以上に振り回されたりする自分に虚しさを覚えるにようになりました。結局、自分自身が平和ではない、後味の悪さにつながるからです。それよりも広い、静かな優しい気持ちで、他の人々のありのままをまず穏やかに見ることからできたらと願っています。

 時に、正しさを伝えることも必要でしょう。でも、それは、優しさをもって、少しひかえめに、言わなければ危険がおよぶような時、あくまでも相手の立場に立ち、自分の正しさのためではなく、共通善のために‥‥この三つのことを念頭におくようにと願っています。

 先に紹介した「祝婚歌」は次のように続きます。

 「立派でありたいとか / 正しくありたいとかいう / 無理な緊張には色目を使わず / ゆったりゆたかに / 光を浴びているほうがいい / 健康で、風に吹かれながら / 生きていることのなつかしさに/ふと 胸が熱くなる/そんな日があってもいい 」

 この言葉を心から味わっている私です。