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ためらい

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

 日本の歴史にも色々の大事件がありますが、陸軍の2・2・6事件が起きた年に私は生まれました。

 人の一生を含め政治や宗教の分野でも、良し悪しは別として、人間のためらいから歴史が織りなされていきます。特にキリスト様がお生まれになって十字架で生涯を送られた歴史には大きな意味があります。

 さて、私が洗礼を受けてから今日まで年月が激流のように流れ去っていきました。思いかえせば洗礼を受けるまでの私は「ためらい」の連続でした。しかし洗礼を受け、神様の愛を感じ出してからは、不思議なことに、この「ためらい」は減ったようです。

 私の大学時代の話ですが、尊敬していた先輩の結婚式に招待されたとき「何と美しい花嫁さんだろう」と感動したことがあります。その神秘的な美しさ、花嫁という存在の神聖さは言葉になりませんでした。

 この時心に湧きだした感動から、私の書斎に読まないで放置していた聖ベルナルドの著書「雅歌について」という本を読み始めました。

 そして、人間の美しさを追求し、学友とともに愛について語り、思索し始めました。そのことでかえってまた悩みが増して、考えれば考えるほど、悩みは激しく押し寄せました。

 やがて、雑多なとりとめのない悩みは消えていきましたが、一つ二つの大きな悩みは何故か益々強烈になり、それが不思議でした。

 この「雅歌について」を読んでからは、美しいもの、例えば天体に浮かぶ星空、美しい森、海、特に人間独特の美しさ、人それぞれの個性の美しさ、しかも、それらは神秘的なことだと気づきはじめ、生涯の友やあたたかい家庭を得ることになりました。

 「深刻なためらい」こそ人を幸福にしていく「神様からの恩寵、指標」のようです。