

ことばにも聞き良いことばと、ちょっと耳をふさぎたくなるようなことばがあります。
「ためらい」ということばもその一つで、「ためらい」と聞くとどっちつかずで、決めきれないネガティブな印象があり、なんだか自分のことを言われているようで、ちょっと目をそむけたくなることばです。しかし、「ためらい」には意外にも、病気の勢いを抑えること、病気を治癒することという意味が辞書には記されていました。
困っている人や悲しんでいる人、そして病んでいる人に寄り添いたいと思ってみても、どのように触れ、何を語ればよいのか。相手の置かれている状況を思えば思うほど、かけることば一つにも「ためらい」が頭をもたげてきます。相手のことを理解したいと思っても、十分に理解できなかったり、よかれと思ってしたことが、相手を傷つけてしまうことにつながったり。そう思うと、一歩踏み出すことをためらってしまうことがあります。でも、考えてみると相手のことすべてを理解しつくすことはできませんし、また相手の置かれている状況を合理的に判断することができないことも多々あります。
人に寄り添うということは、そんなに簡単なことではないのかもしれません。しかし、どうしたらいいのか、これでいいのかという「ためらい」が、相手への尊厳や愛にとつながっていくようにも思います。相手のことを思って自信に満ちてかけることばや先回りして行う行為は、必要なことかもしれませんが、時に相手を傷つけ、自己満足のかかわりになっている可能性があることにも気を留める必要があるでしょう。
「ためらい」が、その方のいのちの奥深さに触れることにつながればと思います。