▲をクリックすると音声で聞こえます。

居場所

熊本 洋

今日の心の糧イメージ

 「居場所」とは、自分自身が「居る場所」あるいは「居るべき場所」とするならば、特定の場所を意味するに違いありません。

 学びは学校、仕事は仕事場でするのが普通です。学業や仕事を終えて家に帰り、憩うことになりますが、家庭が心地よい休息の居場所であるならば、誠に幸せなことであります。何気ない会話をしながら家族や愛する者と食事を共にするとき、とにかく心が安らぎます。また、友人と楽しい時間を過ごしている時も快適な居場所となっています。日常的に安心感や安定感を与えてくれる場所ほど心地よい居場所はありません。

 学校、仕事場、家庭などは、物理的な空間として存在する一方、私たちの心の中にもう一つの霊的な「居場所」が存在するように思います。この心の中の尊い居場所は、自分だけの場であり、何があっても自分自身がいつも保有できる自分だけの場であります。

 悩み事がなく毎日がうまくいっている時は「心の居場所」を意識せず生活していますが、人間関係がうまくいかなくなったり、何かの壁にぶつかって心が疲れている時、私たちは不安に陥り心の安らぎを見失ってしまうことがあります。

 聖書には「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11・28)という言葉があります。この言葉は、神を信じる者にとって何よりも心強い支えであり、救いとなるものであります。 祈りを通して神の力を借り、自分の心を見つめ、平静な気持ちで現実と向き合うことができれば、なんと素晴らしいことでしょう。

 神との共存を忘れてしまうようなことはあってはならないと思います。私たちの心が常に神と共にあることを認識していたいものです。