

私の所属する教会には、マリアさまのご像をそれぞれの家で一カ月間預かる、という習慣があります。自分の住む町の一帯が聖なるものになるようにと、窓際にマリアさまを置くのです。
マリアさまを預かった次の日、思いがけず、最近友だちになったブラジルから来日した母子が訪ねて来てくれました。
夫であり父が住む日本に、母親と7歳の少年はやってきたのです。
その日、母親は7歳の少年が就寝するときの話をしてくれました。
夜、母は少年の部屋に一般的には香料として知られる
私はこの家族の信仰の豊かさを心から幸せに思いました。
彼女が次に私のアパートに来た時、その没薬の小さなスプレーを持ってきて、私にもシュッシュッとかけてくれました。すると私は不思議な感覚に包まれました。没薬の香りから、私の居場所はこの「香り」そのものなのだと思ったのです。
居場所とは、この世のどの場所にもなく、私たちはさすらいの旅路なのです。どこでもさまざまな問題が生じて、良いことは少なく、ため息をつくばかりなのが現実の人生です。
そんな日々に、信徒の家々を巡られるマリアさまが招いてくださったあの母子から、居場所の作り方をごく自然に教わったように思います。
その夜の就寝前、まだ没薬の香りが残っているまま、私の恩師の著書「哲学者と詩人」の中にあったポール・クローデルの詩「薔薇の讃歌」を読みました。永遠であるのは薔薇ではなく、ただ一瞬嗅いだその香りなのです! ここに私の居場所が刻みつけられました。
マリアさま、ありがとうございます。