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居場所

森田 直樹 神父

今日の心の糧イメージ

 聖書によると、イエスさまは、時々、人里離れた所で祈っておられたようです。群衆を前にして教えを説かれた後、また、多くの人たちに不思議なわざを行われた後、そして、何か新しい大切なことを始められる前などに、祈っておられたと記されています。(参 マタイ14・23)

 人里離れた祈りの場は、イエスさまにとってどんな場所だったのでしょうか?それは、さみしさやわびしさ、孤独を感じる場所ではなく、イエスさまが「アッバ」と呼ばれた父である神さまと向き合う大切な場所だったのではないか、と思われます。実に、イエスさまにとって、まことの「居場所」だったことでしょう。

 この「居場所」におもむく時の心の状態はさまざまだったと思われます。喜び、悲しみ、苦しみなどの思いを抱いて、イエスさまはこの祈りの「居場所」へと向かわれたことでしょう。

 特に、十字架を受けられる前に、ゲツセマネで祈られた時には、父である神さまが、共にいてくださることを強く感じながらも、十字架というとてつもない苦難を引き受けねばならない、という苦しみを抱いて、ゲツセマネという祈りの「居場所」で祈られたのです。そして、十字架を引き受ける決心をなさいました。

 ところで、現代に生きる私たちにとっての祈りの「居場所」は、様々だと思います。父である神さまが共にいてくださることを強く感じながら、すべてを神さまにゆだねる時、そこが祈りの「居場所」になっていくのだと思います。

 日常生活のあらゆる煩いを神さまにゆだねて、神さまのみ心を生きようと決心する時、神さまの導きに信頼してすべてをお任せしていく時、その場所がどこであっても、そこが私たちにとっての本当の「居場所」になるのだと思います。