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正しさと優しさ

森田 直樹 神父

今日の心の糧イメージ

 戦後80年を迎える今年、改めて平和の尊さを考える雰囲気が高まっています。幸いなことに、この国では、先の戦争以降、戦渦に巻き込まれることはありませんでしたが、世界のあちらこちらでは、いまだに戦争状態が続いている地域や国があります。

 戦争はそれぞれお互いの立場から自らの正しさが主張されて起こるようです。自国の主張こそが正しい、という判断のもと、戦いが起こるのです。

 ところで、聖書には、こんなお話があります。姦通の罪を犯し、現行犯として捕らえられた女性がイエスの前に連れてこられます。女性を連れてきた律法学者やファリサイ派の人たちは、モーセの律法をかざして、このような女性は石で打ち殺せと命じていると主張します。律法をたてにして自らの正しさのみを主張しているかのようです。

 しかしながら、このような状況において、イエスさまは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」とおっしゃいます。(ヨハネ8・7)

 すると、年長者から始まって一人また一人とその場から人々が立ち去ってしまい、罪を犯した女性とイエスさまだけが残ってしまいます。そして最後にイエスさまは、この女性に語りかけられます。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」(ヨハネ8・11)と。

 律法の規定がありながらも、イエスさまは一人の女性の命が奪われることを「良し」とされなかったのでしょう。正しさが主張されたとしても、人間の命に対する優しさが不可欠だと示されたのかもしれません。

 お互いの正しさの応酬によって繰り広げられている昨今の戦争や紛争の中に、人間の命への優しさを取り戻す動きが出てくることを切に願います。