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日常の幸せ

三宮 麻由子

今日の心の糧イメージ

 長閑(のどか)な住宅地にあった実家から駅前の高層マンションに転居したとき、雀の声が聞けなくなることが一番寂しいと思っていました。実際には、代わりに電車や街の営みの音が聞こえてきて、季節や時刻に応じて移ろう音の面白さに目覚め、新しい楽しみが見つかったのですが。

 しかし、雀が聞けなくなったのは、実は私が駅前に住んでいたからだけではなかったことが分かってきました。それまでにも、都市化で雀が巣を作れる瓦屋根や適度な建物の隙間がなくなって生息環境が厳しいとは聞いていましたが、実家の近所でも雀は既にほとんど鳴いていないと知ったのです。我が家周辺で普通に雀の声が聞けるのは、10分ほど歩いたところにある畑や小川の辺りでしょうか。しかも、かつて実家で聞いていたようなたくさんの雀の声ではなく、わずかな木に集まる数羽が時折鳴いている程度。それでもずいぶん賑やかだと嬉しくなるくらい、駅前に限らず、雀はもはや「いつもいる鳥」ではなくなってしまっていたのです。

 私が4歳で光とさよならしたとき、鳴き声によって初めて「朝がきたよ」と教えてくれたのが雀たちでした。母が庭に作った餌場にやってきて鳴いていたようです。私にとって、それは生まれて初めて実感できた「朝の印」でした。だから雀は、身近な鳥であるとともに、私には特別な鳥でもあるのです。その雀の声を聞きながら朝を迎えられていた日々が、いまやかけがえのない日常の幸せだったことに気付き、私は愕然としたのでした。

 最新の技術にどっぷり漬かって恩恵を受けていながら、雀の声を聞けた日常を思う自分の矛盾はどうにもできないけれど、せめてあの幸せは忘れずにいたいと思っています。