

なかなか気分が上がらないある日、「あなたが何気なく過ごした今日は昨日死んだ人がどうしても生きたかった明日」というような言葉に出会いました。
「カシコギ」とはトビウオ科の淡水魚のことで、小説の内容もさることながら、私はこの魚の不思議な習性に感動しました。この魚のオスはメスが産んだ卵を懸命に守り、必死に育て、子が成長していくと自らは死んでいくのだそうです。
この魚の話は、私に与えられている人生、今日の一日、いのちの時間の尊さを思い起こさせてくれました。そして、自分のいのちを懸けて十字架上で亡くなったイエスの生涯を思い出しました。
「イエスは、何のために、誰のために生き、死なれたのだろう」「私は何のために、誰のために生きていくのだろう」と、あらためてふり返り、自分の人生は自分だけのためではないと実感しました。
年齢を重ねて、人生のいろいろな季節を経験した今、過去にお世話になった多くの人々も天に召されました。特に、何でもない日常を共に生きた人々との二度と戻れない日々が一抹の淋しさとともに懐かしく思い出されます。一緒に過ごした、ありふれた日々と関わりの中に、たくさんの幸せと愛があったことに、今さらながら気付かされています。
「カシコギ」は、自分の子を守り、育てることに幸せを見出していたと確信します。たとえ自分は死んでも、その子が今日この日を生きてくれることに喜びを感じているに違いありません。誰かに対する真摯な想いと愛は、何か特別なこと、大げさなことだけでなく、日常の中でも他者にいのちを与え、生かすことなのだと味わっています。