

私は朝、目覚めると、それだけで「ありがたいな、神さまに生かされているな」と、幸福な気持ちになる。
トイレへ歩いていけると「ああ、歩ける」と思い、家族と「おはよう」のあいさつをかわすと、「ああ、喋れる」と更に幸福な気持ちになる。
自分で箸を持ってご飯を食べることができると、それも幸福と感じる。
今、こうして原稿用紙に向かって、一文字一文字書いていると、それもまたありがたい。
いつ頃から、そんなふうに、何事に対してもありがたい、幸福だと思えるようになったのかと考えると、10年ほど前、大腸ガンの手術をした時からと思える。
やはり生死を分ける手術を受け、こうして10年も生かされていると、何に対しても感謝の気持ちが湧き起こるのである。
また、その後、私より若い、実の弟や夫の弟夫妻があいついで召されたのを見て、私がこうして生かされているのはありがたいことなのだと思うのである。
また、友人知人が歩くのが困難になったり、利き手を使えなくなったり、しゃべるのが困難になったりするのを見て、日常生活を人の手を借りずにやれていることに感謝するのである。
私は現在78歳。これからもっと歳を重ねる。
しかし、希望はある。
「どげん歳ばとって、身体が悪うなっても何かしら出来ることはあるとよ。そのひとつひとつば指ば折って数えれば、にっこりするとよ」
「ベッドの上でも祈りは出来るとよ。神さまとしゃべれるとよ」と、幸福いっぱいの笑顔で教えてくれた五島の人たちに感謝!