

近頃、母親の愛情といったものを、ひしひしと感じるようになりました。すでに母は他界しておりますので、まさに今さら、です。
何で今頃?
どうも、それは妻が子どもたちと接している姿に私がじかに触れているからのようです。
それはむしろ子育てを終えて、子どもたちが巣立ち、私たちが空の巣を守るようになってからのことです。(子育ての最中にはそれどころではなくて、気づかないのでしょう。)
父親は何かと距離をおこうとするものかもしれません。母親はやはり気がかりで、心配で、いてもたってもいられません。距離がないかのようにふるまうこともあります。子どもたちにとっては、いろいろな気遣いがありがたいときと、自分の感情や意思が十分に尊重されていないと感じるときには、逆にプレッシャーと感じることもあるかもしれません。
そんな、子供たちと母親とのやりとりにふれていると、自分の母もやはりそのように私に対して心をくだき、気遣い、世話を焼き、距離感に戸惑いながら接していたのだろうと思いあたることがあり、大きな感慨に満たされます。
大袈裟かもしれませんが、自分が愛されてきた瞬間や出来事が、思い出されてくるのです。そして、今さらながら、その親の愛情の深さと神秘に驚かされます。
自分を無にして、それを無とも感じることなく、その果てに得るものとは何か。......
それでも愛することをやめない。この生まれついた運命をどう捉えたらいいのでしょう。
そう、顔をあわせることのできるうちにもっと感謝の言葉をもって、自分の感情を素直に伝えておけばよかったと悔やまれます。それでも、この後悔に気づかせてくれたことは、有難く感じられます。
そう、今さら、ですが。