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母の心・父の心

シスター 下窄 優美

今日の心の糧イメージ

 昨年暮れに父が帰天しました。半年の闘病生活でした。

 近くに妹夫婦がいたので、普段からよくお世話をしてもらっていましたが、病床についてからは他の兄弟たちもできるだけ両親を訪ねるようにしていました。妹たちが父のお見舞いに行くと、「息子たちは来ないのか」とよく聞かれていたようです。それで、妹たちは「お父さんが待っているのは息子たち」という思いをもっていたようでした。

 父の通夜の席でその話が出た時に「お父さんをかばうわけではないけど」と一人の弟が言いました。「お父さんは『娘たちは来ても掃除ばっかりしていて、話をしない』と言っていた」と。実家に来て家事のために立ち働く妹たちに、父は話したいことがあっても話せなかったのだと納得しました。

 そこで、私も娘の一人として反論してみました。「でも、お父さんと話していても、いつの間にかお父さんの話し相手はお母さんになっていたよね」と。それは、父が話の途中で何かを確認するために母に質問をしたり、母が訂正をしたりで、父と話していたのが、結局父と母の会話になっていたのです。

 ある時、母が父の手紙を見せてくれました。今は亡き私の姉に宛てたものでした。そこには初めて知る、姉に対する父の心が記されていました。淡々と毎日を過ごしていたように見えていた父の思いでした。

 私も一通だけ記憶している手紙があります。

 その初めに「この世界は、神様の望みとは反対方向に進んでいるように思えてならない」と書かれていました。無口な父は、手紙で気持ちを表現することの方が得意だったのだのかも知れません。

 今、父の思いを聞いておけばよかったと悔やむと同時に、母の話はよく聞いておこうと思っています。