

日々の忙しい生活の中で、様々な出来事や様々な出会いが起こります。時には、自分自身で対応したり、処理したりすることができるものもありますが、どうにもならないこともあることでしょう。
聖書によれば、神の子の母となる使命を告げられたマリアさまが、神さまの壮大な救いの計画に関わることになって、戸惑う場面が書かれています。天使ガブリエルの言葉にマリアさまは戸惑い、「いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ」のです。(ルカ1・29)
すると、マリアさまは結婚する前であったにもかかわらず、天使が言うには、マリアさまが身ごもり、男の子を産むと告げるのです。マリアさま自身にはどうにもできない大きな使命に対して、ずいぶん悩み、葛藤されたと思いますが、最終的にマリアさまは、「お言葉どおり、この身に成りますように」とお答えになります。(ルカ1・38)
このマリアさまの態度に私たちも学ぶところがあると私は思います。どうにもならない事柄を前にして、「お言葉どおり、この身に成りますように」と受け止める態度が求められることもあると思うのです。
四旬節を過ごしている私たちですが、節制や祈りとともに、この受け止める態度も養っていきたいと思います。現代社会においては、何事においても、すべて自分のやり方で行えるようになっています。自分のやりたい時に、自分のやりたい方法で物事に対応できるのです。だからこそ、今、全てをありのまま受け入れていく態度が大切になっているのではないか、と思うのです。
この受け入れていく態度の先には、復活の慶びを心から受け止めることが待っています。悲しみも喜びも全て、ありのままに受け止めていくこと、これも信仰の一つの側面かもしれません。