

この四旬節の季節に、人生を受け止めることについて考えています。
出エジプト記の第3章ではモーセの召命について語られます。今でこそ、モーセと言えば「神の人」、旧約を代表する人物で、イスラエル民族をエジプトの地からカナンの「乳と蜜の流れる」「約束の地」へと導きだす指導者です。
ところが、神からエジプトから民を導き出すよう命を受けると、モーセは実に人間らしく、神への返答に躊躇します。その様子がなまなましく描かれています。
私にはできません、口下手ですから、と答えます。(参4・10)
思わずこの英雄に親しみを感じてしまいます。それほどシンドイ任務だったようです。そこで、神はアーロンに代弁する役割を与えて、モーセに指導者の役割を与えることにします。
結果的に、神からのお呼びに応答して、自らの召命を受け止めますが、そこに至るにはさぞ多大な熱量と時間とを識別に費やしたかと察します。
その後のモーセの活躍については触れる必要もありません。ファラオとのやりとり、エジプト軍からの避難といったその脱出の奮闘ぶりが描かれます。
脱出の後も、荒野で民がさまよい、食べ物に不平を漏らし、エジプトに留まった方が良かったと恨み節をぶつけ、果てには異教の神を崇拝する民も出てきます。英雄にとっても一筋縄ではいきませんでした。
モーセ自身もおそらく、その後の人生がどのようなものとなるかを知っていたら、ハイと言わなかったかもしれません。
一瞬の判断、聖霊に開かれたときの神へのハイという応答が、私たちの人生を導いてくれることを教えてくれます。それは神秘にみちた多難な道かもしれませんが、最後には感謝して終えることができるものとなると信じています。